本の基礎情報
タイトル:友罪
著者:薬丸岳(やくまるがく)
発行:集英社文庫
発行年:2015年
ページ数:593ページ
ジャンル:ノン・ミステリ、少年犯罪
この小説のテーマ
「もしも親しくなった友人が、重大な犯罪事件の犯人だとわかったら、あなたならどうする?」
Kindle Unlimited はこちら
主な登場人物
益田:学生時代ジャーナリストを目指していたが挫折。家賃を支払うことさえままならなくなり住み込みで働ける町工場に就職。しかし工場で長く働くつもりはなく、家賃が払えるようになるまでの期間の住まいの確保のため程度の軽い気持ちで働き始めた。
鈴木:益田と同日に町工場に採用された。無口で陰気、人を寄せ付けない雰囲気で益田を含めた同僚との仲は深まる気配がない。しかし、毎晩悪夢にうなされており、尋常ではない唸り声を上げている。
美代子:町工場の事務職。半年前から働いているが、履歴書の高校卒業以降の欄は空欄になっており、身の上話を詮索されることをなぜか避けている。
山内:益田と鈴木が入寮した寮の寮長。10年以上寮に住んでいるベテランで、人柄は良いが酒癖が悪い。
清水:町工場の同僚。強面でガタイが良い、益田や鈴木の2歳上。
内海:町工場の同僚。寮の中で最年少。
読書感想文
(1843字)
私はミステリ小説をよく読むが、本屋さんでいつものように次に読む本を探していたら、ある本の裏表紙の一言に目が留まった。「あなたは“その過去”を知っても友達でいられますか。」もしも自分の友人が過去に大きな過ちを起こしていたら、自分はどんなことを思うのか、そしてどんな行動をとるのか。全く想像することができなかったため、読んでみることにした。
この物語の主人公である益田は、町工場に就職し同日に入社した鈴木に出会う。少しずつ親しくなっていく2人だったが、偶然見つけた鈴木の写真や些細な行動をきっかけに、益田は鈴木のことを過去に起きた世間に衝撃を与えた少年犯罪の犯人なのではないかという疑念をもつようになる。そして疑念を確かめるために行動を起こし、ついに鈴木が犯人であると確信する。その後、益田の行動が原因で鈴木が少年犯罪の犯人である情報が週刊誌で全国に知られることになってしまい、鈴木は姿を消した。そして、過去に自分の言動で友人が自殺してしまったことを後悔していた益田は、鈴木に対して自分の本当にやるべき行動を考え、現在の鈴木がどんな人間なのか、自分だけが知っている鈴木の人間性を週刊誌に実名記事として発表するという選択をして物語は終わる。
この小説の中で、私は「どの人物にも人に知られたくない過去がある」という点に注目したい。もちろん鈴木は、過去の少年犯罪の犯人であることが「知られたくない過去」であり、「知られてはいけない過去」でもあった。ただ、鈴木以外の登場人物についても、益田は小学生時代に自分の言動が原因で友人が自殺した過去を話すことができずにいたし、鈴木と付き合うことになる美代子は、過去にアダルトビデオに出演したことを世間にばれないように生活していた。知られたくない過去は三者三様であるが、この物語の3人に共通していたのは、親しくなるにしたがってその過去を“知られたくない”という気持ちが変化していくということだった。親しくなるということは、相手のことを知っていくという行為であり、“知られたくない“とは対極の行動でありながらも、知ってもらうことで救いになったり、親しいからこそ知ってほしいという義務的な感情を持つようになることを実感した。
知られたくない過去という大げさなものではないが、私は幼少期から人に自分のことを知ってもらうことが苦手だった。極力自分のことは話さないという生活を送ってきたが、今思えばそれは親しくなる行動とは反対の、むしろ親しくなるから遠ざかっていく行為であったということを強く感じた。また、思い返してみれば、数少ない友達に対しては、自分のコンプレックスや見られたくない部分を見せることができている。それができる相手だったからこそ今、親しい友達になることができているんだなと思った。これからも、新しい出会いに対して、自分の良い面だけを見せるだけでは親睦を深めることは難しく、むしろマイナスの部分を知ってもらう、お互いに知ることが親しくなることへの近道であることを念頭に入れて、生活していきたい。
次に、この小説のように、少年犯罪を犯した犯人が数十年後に出所し、現在地球のどこかで生活しているというのは事実としてある。この事実に関して、今回の小説を読んで考え方を改めるきっかけになった。小説内では、犯罪者である鈴木は過去を隠すことで普通の人と同じように生活しているが、主人公を助けたり、まじめに業務に取り組んでいたり更生しているように感じた。しかし、現実の少年犯罪者の全てが更生されて出所しているかと問われると、必ずしも更生できたと言えない人も少なくないのではないかと感じる。何をもって更生したといえるのか、また犯した罪を償うということが実社会に復帰して社会貢献をすることであるとは被害者遺族や多くの世論は感じないのも実情としてあると思った。その描写として、鈴木が週刊誌で少年犯罪の犯人であると明らかになったとたん、工場の同僚が人間呼ばわりしなくなったり、「死んでしまえばいい」という発言まで飛び出していた。過去に犯した過ちは一生消えることはないが、今を懸命に生きる人間に対しては、今を評価してあげる姿勢が、更生を受け入れる社会に近づくのではないかと思った。
被害者遺族の立場、加害者遺族の立場、いずれであっても現在の情報化社会であれば、身を隠すことさえ困難になっていると感じる。人を過去で判断するのではなく、今を見てほしいと強く願うし、私自身がそうなりたいと思う。
コメント